#おんな城主直虎 が放送開始 ~ #大河ドラマ館 が閉館 まで、便宜の為に このブログ内「直虎関連記事メニュー」を【常に】TOPに掲示固定しておきます。 niftyの特徴仕様かな?

#おんな城主直虎 と #大河ドラマ館 に関係して自分が書いたブログ記事の主な記事へ行けるリンク集。
PCで私のブログを閲覧すると右サイドに羅列してある掲載だが、スマホでは左右サイドが見えない為(又は、スマホ→PC画面に切り替えから~スクロール長距離移動要の為)、右サイドの特定エリアをコピー→ここにペーストした。但し、最新状態にイコールは保証しない(PC画面で見える右サイド状況が最新です)

NHK 静岡放送局 新放送会館の建設情報: 白いツバサ@cocolog  ← この記事の中に NHK の本局(東京)と静岡放送局、各ホームページへのリンクあります。

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大河ドラマ「おんな城主・直虎」
 【見解1】井伊家の紋(家紋)は橘(たちばな)で、「井桁(いげた)」は旗印(はたシルシ) ←→ 【見解2】「井桁」は家紋
井伊直虎を取り巻く出来事と井伊直政~子孫の主な時系列出来事メモ
バスルート新設(暫定):舘山寺~気賀(ドラマ館)~龍潭寺+【観光船】も追加

●1/8と1/15(前)放送開始日と(後)ドラマ館のオープン日

●2016/11/27供用開始(この視察兼ねて、天浜線で「気賀」に行く選択有):「新所原駅」の新駅舎(高架自由通路化)

●(気賀に設置)[pdf]ドラマ館のコンセプト大河ドラマ館チケット詳細

-----ロケ始まる
放送決定

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【ココログ会員へ内緒?の連絡】「次郎法師衣装」などが登場!: お知らせココログ:@nifty

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#おんな城主直虎 【見解1】井伊家の紋(家紋)は橘(たちばな)で、「井桁(いげた)」は旗印(はたシルシ) ←→ 【見解2】「井桁」は家紋

10:14 - 2017年1月4日 ツイート者:イチマサ
https://twitter.com/ichimasa2/status/816452588740583424
(文圧縮リンク先の全文を引用)
#おんな城主直虎 に関するポスター、パンフレット、土産品に使われているロゴマークが2種類(「井桁」と「橘(たちばな)」)があり、私は井伊氏の元祖が井戸から生まれた逸話から「井桁」が井伊谷の井伊家の家紋、直政以降出世してから代かわりとして彦根の井伊家の家紋として橘を、それぞれ使い分けしていると個人解釈していたので明確を求めて、浜松博物館の学芸員に質問したら「井桁は(軍等の)旗シルシ、家紋は(井伊谷も彦根も区別無く)橘」と教えられたが公的な書物でその説明表示の信憑性が欲しかったところなので、今朝の #静岡新聞 は暫定として頼り(社会的根拠)に成りうる
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【追加】疑問発生による。
11:43 - 2017年1月7日 リツイート者:イチマサ
https://twitter.com/ichimasa2/status/817562270670565377

(文章圧縮先より展開)このテーマ展を見に行った時、常々感じていた疑問:観光パンフに「井桁」と「橘」の紋(マーク)があるが用途の違いを学芸員に説明受けたら「井桁」は旗シルシで「橘」は家紋との回答あり。一方、昨日(1/6)放送されたNHK「歴史秘話ヒストリア~ #おんな城主直虎 のイロハ」では龍潭寺住職が、門の「井桁」造形を指して 【井伊家と、お寺の家紋です】と。
どちらが正しいの?「橘」シルシはどこから出現したの?
因みに再放送が本日(1/7)13:00からあり。

RT (浜松経済新聞のこの投稿へリツイート→) https://twitter.com/hamamatsukeizai/status/814332252301787138

【追伸】 1600年)関ケ原の戦い:井伊直政、(家康側)井伊軍の大将として出陣。(この時の屏風絵に描かれた参戦図を見ると「井桁」の旗をなびかせている) 直政はこの戦いで被弾し、その傷が元で2年後に病死。 

それと、「橘(たちばな)」の家紋は少しずつ違いがあるので数種類あり、インターネットのどこかで「井伊谷の井伊家と彦根の井伊家では「橘」家紋が微妙に違う」という記述を記憶していたので、彦根観光関係の人が浜松に出店するイベントの時に、質問したら「井伊谷の井伊家とは違うことは聞いているがどこが違うのか知らない」との返事。
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地名で御前【崎】(市) だが 灯台名で御前【埼】灯台 何が違うの?

御前埼灯台の改修完了 34年ぶり、よみがえる白亜の塔(静岡新聞 2016/12/29 08:35)
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20:06 - 2016年12月28日 ツイート:
https://twitter.com/shizushin_news/status/814064933503569921

ちなみに、先ほどの投稿・・・
御前埼灯台の「埼」は大丈夫なの、合っているの?

正解です。
御前崎市は「崎」、御前埼灯台は「埼」。なのです。(ま)
#静岡新聞
RT
【御前埼灯台と富士山】
見えますか、右奥に富士山が。
御前埼灯台の改修工事が28日完了しました。
詳しくは29日の静岡新聞朝刊で。
紙面掲載写真から、ドローン空撮映像を見られるようにする予定です。(ま) #静岡新聞
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上記、他者同志のTwitterやりとりがあ目に入り感じたことあり、リアクションとった結果↓
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10:44 - 2016年12月29日 リツイート:イチマサ
https://twitter.com/ichimasa2/status/814285839790313472

崎←→埼?何のことかと思い、文字のことと感じてweb界を放浪して、取り敢えず私的な定義を見付けたのがコレ→ ※http://www.kaiho.mlit.go.jp/03kanku/choshi/inubo/inubo/index.htm 公的に定義書いてある場所をご存知の方はお知らせを。
※御前崎市の灯台方面示す看板や観光パンフレットの確認必要だね。取り敢えず、「御前崎の灯台」とすれば先頭名詞が地名と逃げれるかと。

灯台名に「サキ」を使う場合は場所の形態で文字が変わる。
埼:木の生えてない土(崖)が海に突き出た場所
碕:岩が海に突き出た場所
崎:山がそのまま海に突き出た場所

(上記は※リンク先→<珍しい地名>より仮引用)但し最終的な灯台名は海上保安庁が決めて、灯台管理データベースに載っているのが、各灯台の名称を含めた戸籍の源となる。

 地域名が殆ど崎が多い中、灯台名も同じと思って早合点や混同しないように確認し、使い分けること。

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井伊直虎を取り巻く出来事と井伊直政~子孫の主な時系列出来事メモ

和歴と西暦の併記を考える場合、月日まで書くと旧暦と新暦のズレの差異説明が必要となるので。(流れが分かりやすい)西暦しか書かない。
間違いと思われる部分あれば教えてください。
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井伊直親 読み:なおちか 幼少の頃は、直虎と いいなづけ だった人。(ドラマでは大人役を三浦春馬が演ずる)
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○日本 ●井伊家       
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○1560年)桶狭間の戦い(織田信長軍が今川軍を急襲) :●井伊直盛(直虎の父)は今川義元と共に討ち死に。
●1561年)井伊直親の長男、直政生まれる。
○1562年)本能寺の変
●1562年)井伊直親:仲間と共に駿府に向かっている途中の掛川辺りで今川関係者に謀殺される。
●1565年)井伊直虎:当主の座につく。
●1575年)井伊直政:(15歳)で徳川家康に出仕叶う。
●1582年)井伊直虎:死去

●1590年)井伊直政に長男、直継(後の直勝)生まれる。
●1590年)井伊直政に(異母兄弟)次男、直孝生まれる。
○1600年)関ケ原の戦い:●井伊直政、(家康側)井伊軍の大将として出陣し、被弾する。その傷が元で2年後に病死
●井伊直継(後の直勝):初代彦根藩主→上野安中藩主→掛川藩主 (長男の直好と共に行動)
2017/1/5付けコメント欄で紹介した新聞特集の「掛川城」によれば直好から4代が掛川城主を務めた」とのこと。
#おんな城主直虎 の系譜、#井伊家と #袋井との関わり: 白いツバサ@cocolog
 【彦根藩の全歴は】
1)※リンク先の記事の中の「彦根城にまつわる「列伝」第5回」を前後展開して読んでください。
2)彦根商工会議所編『井伊家十四代と直虎』
●井伊直孝:上野白井藩主→二代目彦根藩主
○1614年)大坂 冬の陣:●井伊直孝(家康側)井伊軍の大将として出陣。「真田丸」ドラマの中で幸村らがコメント発言(三谷脚本マジック)

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初耳だ。忙しかった筈の直政は、いつ高崎城主をしたのかな?高崎城と直政
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「井伊直政は天下分け目の関ケ原合戦では東軍の主力として勝利に貢献し、その恩賞として彦根を拝領して佐和山城主となった。」(その戦いの時の傷が元で2年後に病死)
「彦根城に天守が建ったのは直政死去から4年後の1606年、すべての工事が終了したのがさらに16年後の1622年のこと。それほど、直政が計画した彦根城は大規模な城郭であった。」 下記の記事の3/3ページより。

浜松から彦根へ 17年大河「直虎」ゆかりの地を巡る |かみゆ歴史編集部 滝沢弘康 | 日経電子版 | トラベル |クローズアップ
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静岡理工科大学が管理運営する静岡航空資料館(牧之原市坂口)

10:35 - 2016年12月11日 ツイート者:イチマサ
https://twitter.com/ichimasa2/status/807760654094372864 ←リンク開けば、画像二枚見れますが不鮮明なので下記 【後日判明したことを追記】 の方法をお勧めです。

先週木曜日に島田市役所ロビーに行き、真ん丸の石(ノジュール)が市内の牛尾山(大井川に架かる新東名の橋から約1km北、川の西岸に自然の土手としてある)から多数出土していることを伝える展示を見て来たことをツイートした(【追記:こちらのツイートが見たい!という反応が多く、当ブログ記事のコメント欄に引用転記した2016.12.12付け】)が、その帰途に過去の報道を思い出して(静岡空港西南、坂口工業団地内にある)静岡理工科大学が管理している航空資料館に(予約必要なので)様子見に寄ったら(突然訪問に関わらず)運良く時間短縮ながら展示概要を案内頂けた。
以前投稿した磐田鮫島海岸不時着した飛行機の原型機材(白塗り+緑十字にする前)の模型も有った。

 RT 大正・昭和の航空エンジン、プロペラなど展示 牧之原 | 静岡新聞
https://twitter.com/ichimasa2/status/807591865578987520
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【後日判明したことを追記】
静岡理工科大学 公式HP TOPページのバナー群の中に「静岡航空資料館」のバナーを開くと沢山の情報を事前に得ることが出来ます。(冒頭に書いた画像二枚の内容がもっと鮮明に。申し込みの日取り計画検討に有益な「開館カレンダー」も有り)

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